昨晩早く寝たせいか夜中目が覚め、いろいろ思い巡らせていたら、「吾唯足知(われただたるをしる)」が浮かんだので書いてみます。
釈迦が入滅前、「足るを知るものは貧しといえども富めり。足るを知らぬ者は富めりといえども貧し」と言ったのが伝わったとされ、老荘思想や茶の湯の精神にもこれが説かれています。
京都の龍安寺にあるつくばい(茶室前の手水鉢)には、この文字が刻まれています。
このテーマには、すごく考えさせられました。
私の父は歯科医で、お陰で幼少期は衣食住の心配もなく、おもちゃやレコードなどに囲まれ、いろんな塾に通ったりと贅沢な生活を送らせてもらいました。
そのせいか、身体が小さく気が弱かったせいか、よくいじめられ、「お金なんかない方がいい! 」「塾なんか行きたくない!」と思っていました。
しかし、「ないよりあった方がいい」「できないよりできた方がいい」という父の言葉には反論できませんでした。
親や教師が絶対という教育をうけた私は、反抗期も経験せず社会に出て自我の危機に直面しました。
自分はいったい何がやりたいんだろう。
自分はいったい何が好きなんだろう。
自分はいったい何が欲しいんだろう。
そもそも、自分っていったいどんな人間なんだろう。
物やお金はたくさんあったほうがいいのか、欲とどう付き合えばいいのかもわからず、極端にストイックになったり自堕落になったり。
そしてある時出会ったのがこの言葉です。
私は晩酌が趣味で、酒のない人生は考えられません (^^;
旨い酒を求めてずいぶんお金も使いました。
しかし、いい物を知るともっといい物が欲しくなってしまいます。
これがいいのかどうか。
もしかして安い酒をおいしく飲めていた時の方が幸せだったかもしれません。
お腹いっぱいの時のご馳走より、お腹がへった時のおにぎりの方がおいしい。
あればあったで、なければなかったで満足できた方がいいんじゃないか。
今はそう思って箱の酒を飲んでます (^^)